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ピタヤ:「電車来たぞ」
アナウンス:「次は太田です」
ピタヤ:「地方は駅間が長いな~」
ピタヤ:「太田駅も高架になってるんだな」
太田駅(おおたえき)は、群馬県太田市東本町にある東武鉄道の駅である。
ピタヤ:「富士重工の企業城下町なのか」
中島知久平(元海軍機関大尉)によって群馬県新田郡尾島町(現: 群馬県太田市)に設立された民営の飛行機研究所を前身とし、太平洋戦争(第二次世界大戦)終戦後、GHQにより財閥解体の対象となった中島飛行機(1945年(昭和20年)に富士産業と改称)が、富士重工業のルーツである。
ピタヤ:「駅前に新田義貞の銅像が」
ピタヤ:「歴史の教科書にはかならず載ってる人物だよな」
新田 義貞(にった よしさだ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての御家人・武将。
ピタヤ:「駅前にドンキかよどこにでもあるな~」
ピタヤ:「って二階やってないのか地方は車社会だから駅前だからって集客出来るわけじゃないんだな~」
当駅の南側は水田地帯であったが、「九合地区土地区画整理事業」として整備が進められ、1966年(昭和41年)12月に南口を開設した。
1956年(昭和31年)4月19日に落成した太田市役所の移転が移転したのを皮切りに、行政機関が相次いで移転してきた。
店舗の廃業などの影響もあり、1991年(平成3年)から南口の利用者も減少に転じた。
- Jプラザ – ドン・キホーテが入居。1977年(昭和52年)10月に「ベルタウン」として開業し、ユニーと地元企業が共同出資し約50店の専門店街と一体となって営業していたが、2007年(平成19年)1月14日にユニーが閉店した。
ピタヤ:「工事現場のバリケードがぐんまちゃんだこれはカワイイ東京にも置かないかな」
ピタヤ:「そろそろ帰るか」
ピタヤ:「1時間30で浅草着くから便利だ」
ピタヤ:「わーい特急りょうもう号だ」
ピタヤ:「東武らしいスッキリとしたデザインだな」
りょうもう とは、東武鉄道が主に浅草駅 – 赤城駅間を東武スカイツリーライン・伊勢崎線・桐生線経由で運行する特別急行列車の愛称。
日光線特急「スペーシア」に対して伊勢崎線特急「りょうもう」と呼称されることが多い。
ピタヤ:「都内から直通するから便利な列車だ」
主な利用者は工業地域でもある両毛地区へのビジネス客が多いが、あしかがフラワーパークなどの観光客向けに臨時列車が運行される場合もある。
ピタヤ:「浅草まで行こう」
駅員:「特急りょうもうが発車いたします」
ピタヤ:「さらば群馬」
ピタヤ:「全車指定席のようだ」
ピタヤ:「ビジネス客が多いな」
ピタヤ:「テーブルも付いてる」
ピタヤ:「トイレ行っとくか」
ピタヤ:「館林か、次はこの辺も散策してみるか」
ピタヤ:「東武10000系だ」
ピタヤ:「竹ノ塚付近だ。高架化工事してるんだな」
ピタヤ:「荒川を渡れば北千住に到着だ。」
ピタヤ:「北千住でほぼ降りて行ったな」
ピタヤ:「おお!東京スカイツリーが見えるぞやはりデカイ」
ピタヤ:「隅田川を渡れば終点浅草に到着だ」
車掌:「終点浅草です。本日も東武鉄道をご利用下さいましてありがとうございます」
ピタヤ:「着いたようだ」
ピタヤ:「特急スペーシアだ!日光行きたいな~」
ピタヤ:「浅草駅は大きくカーブしてるんだな」
駅舎と駅を出てすぐに存在する橋梁の位置関係から、駅を出てすぐに半径100mの急カーブが存在し、ここは15km/hの速度制限がかかっている。
ピタヤ:「折り返し太田行きのようだ。りょうもう号お疲れさん」
ピタヤ:「群馬良かったまた行こうっと」
群馬周遊編終わり・・・
[…] 次に続く・・・ […]