司会者:「さあ今夜もやってまいりました。クイズ日本史のお時間です。」
ピタヤ:「ふぁ~眠い」
司会者:「起きてくださいピタヤさん。それでは、問題です。1876年江華島事件後日朝間で締結された条約は?」
ピタヤ:「これは日朝修好条規だ!」
司会者:「ファイナルアンサー!」
ピタヤ:「ファイナルアンサー」
アシスタント:「正解です」
司会者:「ピタヤさんおみごと」
ピタヤ:「やったね」
司会者:「それでは次の問題です。江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕えたイングランド人航海士で三浦按針の名前を受けたこの人物は誰か?」
ピタヤ:「たしかヤンヨーステンじゃなかったっけ?」
司会者:「ファイナルアンサー?」
ピタヤ:「ファイナルアンサー・・・」
アシスタント:「ブー不正解ですヨーステンはオランダ人よ」
司会者:「ああ~残念ピタヤさんそれでは行ってらっしゃい」
ピタヤ:「どっちがどっちか迷った」
Fディレクター:「こういう時は紛らわしいよね」
ピタヤ:「そうだよな~」
ピタヤ:「日本橋に着いたぞ!」
ピタヤ:「なんか路地に入っていくんだがこっちでよいのか?」
ピタヤ:「こんな所に石碑が・・ここは昔、 按針町と呼ばれてたのか」
ウィリアム・アダムスは、江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕えたイングランド人航海士・水先案内人・貿易家。三浦 按針(みうら あんじん)の日本名でも知られる。
ピタヤ:「アダムスは、家康に取り立てられて武士になったんだっておや電話だ」
家康はアダムスを250石取りの旗本に取り立て、帯刀を許したのみならず相模国逸見に采地も与えた。また、三浦按針(”按針”の名は、彼の職業である水先案内人の意。姓の”三浦”は領地のある三浦半島にちなむ)の名乗りを与えられ、異国人でありながら日本の武士として生きるという数奇な境遇を得たのである。
司会者:「ピタヤさん正解は分かりましたか?それでは答えをどうぞ」
ピタヤ:「徳川家康に外交顧問として仕えたイングランド人航海士はウイリアム・アダムス」
司会者;「正解ですピタヤさんお疲れ様でした」
今回のまとめ
- 1876年江華島事件後日朝間で締結された条約→日朝修好条規
- 江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕えたイングランド人、三浦按針の本名→ウイリアム・アダムス