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ピタヤ:「朝6時か・・・眠い」
ピタヤ:「始発前の新幹線がいっぱい停まってるぞ」
ピタヤ:「おお!これが500系タイプエヴァか」
ピタヤ:「山陽新幹線は40周年か」
ピタヤ:「博多まで行ってそこからはこだま号で運用されるパターンだな」
新幹線500系電車は、西日本旅客鉄道(JR西日本)が保有する新幹線電車である。
新幹線:エヴァンゲリオン プロジェクト「500 TYPE EVA」2015年(平成27年)11月7日より運行を開始した、山陽新幹線運行開始40周年ならびにテレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」放送開始20周年記念のコラボレーション企画による編成。エヴァンゲリオンシリーズのメカニックデザインを手掛けた山下いくとがエヴァ新幹線のデザインを担当し、原作・総監督の庵野秀明が監修を務めた。
ピタヤ:「発車の時間だ」
アナウンス:「博多行き発車いたします」
ピタヤ:「さらば博多南」
ピタヤ:「けっこう乗ってるな新幹線で通勤出来るなんてうらやましい」
車掌:「博多に到着です。この列車はこだま号新大阪行きとなります」
ピタヤ:「500系カッコイイなぁ東京じゃ見れないから写真撮っとくか」
徹底して高速性能を追求したために、製造コストや居住性の問題、特に東海道新幹線内での他系列との定員の違い、車両性能を持て余すなどの点が問題となった。2007年に最高速度300km/hの高速性能と居住性の両立を目指した後継車両として、東海旅客鉄道(JR東海)・JR西日本の両社が共同開発したN700系が営業運転を開始し、同系の増備により所要数が充足されたことから、500系は2010年2月28日に定期「のぞみ」運用から離脱した。
ピタヤ:「JR西も面白い企画出してきたもんだな」
外観をエヴァンゲリオン初号機をモチーフとしたカラーリングに全面塗装。1号車にはエヴァンゲリオンの実物大コックピットを再現し、ゲームも楽しめる「展示・体験ルーム」に改装。2号車は肘掛けやカバー、床面や貫通扉などに装飾を施し、エヴァンゲリオンの世界観を表現した「特別内装車」とした。
ピタヤ:「細かいところまでこだわってるな」
アナウンス:「こだま号新大阪行き発車いたします」
ピタヤ:「さらば博多また来る予感がするな」
ピタヤ:「オレの席は4号車か」
ピタヤ:「2×2席だからゆったり座れるな」
従来より多客期などに指定席に変更されることがあった4・5号車を1列4席に改造した。座席も700系E編成の指定席車と同等のもの(座席は新製)に交換し、6号車との格差はシートピッチを除いて解消した。また仕切り扉位置の変更はないことから、車端部では山側に1人席も誕生した。同年12月19日をもって全編成の改造が完了し、同日より5号車が通年指定席となった。2014年3月15日のダイヤ改正以降では、4 – 6号車が指定席となっている。
ピタヤ:「小倉付近だ、けっこう都会だな」
北九州市小倉北区に位置する同市の代表駅であるとともに、山陽新幹線における九州の玄関口と位置付けられる。北九州市は小倉市をはじめとする5市合併により1963年(昭和38年)に誕生したもので、駅名も改称されることなく地域の名称がそのまま使われている。
アナウンス:「まもなく小倉です。鹿児島本線~」
ピタヤ:「チャイムもエヴァの曲が使われてるファンは喜ぶな」
車内チャイムも従来の「いい日旅立ち・西へ」からアニメ主題歌の「残酷な天使のテーゼ」のオルゴールバージョンに変更されている。
ピタヤ:「下関も市街地が多いようだ」
新幹線開業前は、あたりは一面水田が広がっていた。住吉神社(長門一ノ宮)の祭日のみ賑わっていたが、新幹線開業後は住宅地として発展した。
ピタヤ:「これで「あさ」って読むのか水田が広がってるぞ」
駅開設時からある北口は厚狭地区の中心市街地となっており、駅前に寝太郎の銅像が立つ。また、日本で初めて角膜移植を行うための献眼を讃えた碑がある。一方、南側は山陽新幹線停車前は改札や自由通路がなかったこともあり、市街化はされず基本的には田園風景が広がっていたが、新幹線駅開業後に土地区画整理事業が施行され、2009年度に完了した。
ピタヤ:「新山口付近だなんかスゴイ霧が」
アナウンス:「次は新山口です」
ピタヤ:「ついたようだ」
ピタヤ:「けっこう乗ってるな」
ピタヤ:「終点新大阪まで行くようだ。500系お疲れさん」
ピタヤ:「500系のイメージと合ってるよな」
ピタヤ:「カンセンジャーだ」
カンセンジャーは、西日本旅客鉄道の地方機関である新幹線管理本部が製作した、山陽新幹線の公式キャラクターである。
ピタヤ:「ここが新山口駅か」
新山口駅(しんやまぐちえき)は、山口県山口市小郡下郷にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。山陽新幹線の停車駅のひとつであり、また4方向に伸びる在来線のターミナルでもある。鉄道路線以外に萩・秋芳洞方面や山口宇部空港へ直行バスが運行されており、県央地区における交通の要衝としての役割も担う。
ピタヤ:「放浪の俳人、種田山頭火の銅像だ」
種田 山頭火は、戦前日本の俳人。よく山頭火と呼ばれる。自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。
1938年(昭和13年、56歳) 山口市湯田温泉街に「風来居」を結庵。
ピタヤ:「山口の防府生まれなんだって」
ピタヤ:「山口市内へ行ってみよう」
[…] 次に続く・・・ […]
[…] 前回からの続き・・・ […]