運転士:「終点高崎です」
ピタヤ:「ついたようだ」
ピタヤ:「上信また乗りに行こうっと」
ピタヤ:「高崎の街を散策してみよう」
ピタヤ:「高崎はけっこう都会だな」
高崎市の中心市街地は、およそJR高崎線とJR信越本線、国道17号で囲まれた地域である。この地域は江戸時代以来の城下町であったとともに、中山道の宿場町でもあった。市役所を始めとする主要な行政機関や文化施設、公共施設、また数多くの商店街や金融機関、大型商業施設、宿泊施設などがこの地域に立地している。ただ、近年は高崎駅の東側にも商業施設や文化施設などが進出してきている。
ピタヤ:「高島屋があるぞけっこうオシャレだな」
ピタヤ:「縁起のいいまちだってあの観音様遠くからでもよく見えるな」
高崎白衣大観音は、群馬県高崎市の高崎観音山丘陵にある大観音(白衣観音)像である。観音山の山頂、標高190mの地点にあり、最上階(観音像の肩部分)からは高崎市街地や群馬県の主な山々、さらには八ヶ岳等まで一望できる。通称「高崎観音(たかさきかんのん)」。高崎市民は「観音様」と呼んでいる。
ピタヤ:「市役所のほうまで来たぞ」
ピタヤ:「なにやら櫓が」
ピタヤ:「年季の入った門もある」
ピタヤ:「へ~高崎に城があったのか」
高崎城(たかさきじょう)は日本の城。所在地は上野国群馬郡(現:群馬県高崎市高松町) 江戸時代は高崎藩の藩庁となった。
ピタヤ:「こちらは地元資本のスズラン百貨店のようだこのあたりは高崎のオシャレスポットなのかしら?」
株式会社スズランは、群馬県を地盤とする日本の百貨店。東京の最先端の流行の高級品の身を追い掛けることなく、地元の群馬県民のニーズに合わせた商品をそろえる「大衆百貨店」路線を採っている。
ピタヤ:「地方百貨店は人口減で苦戦を強いられているが、なんとか踏ん張ってもらいたいものだな」
ピタヤ:「こっちは群馬音楽センターか」
群馬音楽センター(ぐんまおんがくセンター)は、群馬県高崎市にある音楽ホールで、群馬県を代表する文化施設の一つである。
ピタヤ:「電話BOXがバイオリンの形してる高崎は音楽の街なんだなあ・・・少し昼寝するかグウ」
数少ないオーケストラのある地方都市であり、高崎マーチングフェスティバルが開かれるなど、音楽に関する活動が盛んであることから、高崎市は「音楽のある街」と名乗っている。
*:「BAD FEELING オマエの腰つき BAD FEELING オマエの気持ち~」
ピタヤ:「おや?まるで20年前のバンド見たいなカッコした兄ちゃんたちがいるぞ、ずいぶん縦ノリのビートだな」
氷室:「こんちはオレたち将来、日本の音楽シーンを変えます」
ピタヤ:「頼もしいな~こういう骨太なの嫌いじゃないぜ君達なんていうバンドなの」
松井:「事務所の社長から群馬暴威ってバンド名を頂きました」
ピタヤ:「なんだかな横浜銀蝿みたいだちょっと硬くないか?」
布袋:「オレもそう思ってたんだよ。暴威だけで良いよな」
ピタヤ:「シンプルな方が分かりやすいよ暴威だからBOOWYでWを入れてみたら?」
布袋:「それもらった」
氷室:「そうそう次の新曲考えなくちゃな~」
ピタヤ:「なにかモチーフはあるの?」
氷室:「操り人形が自由になるみたいな」
ピタヤ:「操り人形は英語でマリオネットだな~おっとそろそろ駅に行かないとじゃみんな頑張ってな~」
これが後のBOØWYである
群馬県高崎市出身の氷室京介、布袋寅泰、松井恒松を中心に結成される。初ライブ後に高橋まことが加入し、1982年にデビュー。当初は6人編成だったが同年秋に2人が脱退し、以降は解散まで4人編成で活動する。今日もなお日本のロックシーンに変革をもたらしたバンドとしてその地位を確固たるものとしている。
ピタヤ:「うーん良く寝たなんか変な夢見たが気のせいか?」
ピタヤ:「群馬にも横浜銀行があるんだな」
第二国立銀行高崎支店は群馬県下で初めてつくられた銀行です。1875年に高崎の九蔵町に設立されました。第二国立銀行は日本で二番目に古い銀行で、1874年に、生糸生産振興を主な目的として横浜につくられました。第二国立銀行高崎支店の設立は、群馬県の製糸産業界への資金供与が主な目的でした。
ピタヤ:「第二銀行は横浜銀行の前身なのか。群馬の生糸は横浜から海外に出荷されてたから縁が深いんだな~」
ピタヤ:「高崎駅のフードコートでなんか食ってくか」
ピタヤ:「シャンゴ風スパゲティだってパスタにトンカツ乗ってるぞ」
ピタヤ:「わぁおいしそうボリューム満点だ」
シャンゴは老舗のパスタ店で、本店と合わせ県内に同様の店舗を8店舗を運営している。高崎、前橋、伊勢崎あたりのパスタファンならば、シャンゴのことを知らない人はまずいない。と言われている。
ピタヤ:「パスタの街高崎だって」
人口当たりのパスタ店が全国的にも多いといわれる高崎市。
群馬県は全国有数の小麦の産地。小麦粉を使った「粉もの」料理は、昔から高崎市民の生活と深く結びついてきました。
ピタヤ:「都内にも出店してくれ~」
ピタヤ:「そろそろか」
駅員:「まもなく列車がまいります黄色い線の内側に・・・」
ピタヤ:「電車が入線するようだ」
ピタヤ:「おお~115系ここではまだ現役だったか」
国鉄115系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した近郊形直流電車である。
ピタヤ:「都内じゃもう見れないから貴重だな」
ピタヤ:「上越線と両毛線来たぞ」
ピタヤ:「両毛線乗ろう。こっちが先発のようだ」
両毛線(りょうもうせん)とは、栃木県小山市の小山駅から群馬県前橋市の新前橋駅までを結ぶ東日本旅客鉄道の鉄道路線(幹線)である。運行上は、群馬県側では新前橋駅より上越線に乗り入れ高崎駅まで運転している。
ピタヤ:「・・・ドア開かないぞボタンか?それも無い・・・ってまさかの手動」
まず車掌が車掌スイッチを開操作し、各扉を開錠しなければならない。そうするとステップ灯(装備車のみ)と車側表示灯が点灯し、ドアエンジン(エアシリンダー)が開放となり、乗客が自由に開閉できるようになる。閉める場合は車掌スイッチの閉操作で一斉戸締め、鎖錠となる。扉には大きめの取手が備わり、「手で開けて下さい」などの表記もある。この方式は、国鉄の一般形、準急形、一部の急行形気動車や、寒地向けの近郊形電車に広く採用され、また、転属のため寒地向けに改造された旧型国電などでも一般的なものであったが、現在では107系や115系、117系等に残るのみとなっている。
ピタヤ:「いろいろな電車乗ってるけど、手で開けるのは、初めてやったよ」
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