スポンサーリンク
ピタヤ:「霞城公園に行ってみよう」
ピタヤ:「石垣が見える」
ピタヤ:「ここが霞城公園か」
霞城公園は、市街地の中に突然に現れる一辺500mほどの広大な緑地で、山形城址二の丸の堀と石垣などの遺構を中心とした範囲を公園としたもの。人工衛星からの画像でも、その輪郭がはっきりとわかる山形市のシンボル的な構造物。なお山形城址は三の丸まである平城だったが、三の丸の堀は埋められてほとんど面影を残していない。霞城(かすみじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)は山形城の別名。
ピタヤ:「桜の名所なんだって今年は、人生で一番桜を見た気がするなぁ」
ピタヤ:「東大手門は復元されてるぞ」
ピタヤ:「お堀跡のようだ。」
ピタヤ:「日当たりが良いところはタンポポが咲いてる」
ピタヤ:「山形城がここにあったんだな~」
- 現在史跡として、山形城の復元が資料に基づいて進められている。
ピタヤ:「最上義光の銅像だ」
最上 義光(もがみ よしあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名。最上氏第11代当主。出羽山形藩の初代藩主。伊達政宗の伯父にあたる。関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、最上家を57万石の大大名に成長させて全盛期を築き上げた。
ピタヤ:「独眼流の伊達政宗と親戚なのか」
ピタヤ:「枝垂れ桜が咲いてるぞ」
ピタヤ:「東京で花見やり損ねてもここまで来ればまた花見出来るな」
ピタヤ:「黄緑色の桜だ御衣黄桜って言うのか」
ギョイコウ(御衣黄)は、サクラの栽培品種である。花期はソメイヨシノより遅く、京都市や石川県白山市では4月の下旬頃。
ピタヤ:「来年も見れたらいいなぁ」
ピタヤ:「駅に向かうか」
ピタヤ:「20000Vって事は交流電化なのか」
交流電化(こうりゅうでんか)とは、鉄道の電化方式の一つで交流電源を用いる方式。
ピタヤ:「線路の幅が違う左が奥羽本線で右が左沢線か」
新幹線直行特急「つばさ」の運行開始に伴い、この区間は従来の狭軌(軌間1,067mm)から、標準軌(軌間1,435mm)に改軌された。このため、山形線の普通列車には標準軌専用の車両が使用され、狭軌である他線(東北本線、仙山線など)や奥羽本線の新庄駅以北に乗り入れることはできず、また他線の列車や貨物列車が山形線に乗り入れることもできない。
ピタヤ:「八重桜だ」
ピタヤ:「ここは桜町か納得」
ピタヤ:「その近くに神社が」
ピタヤ:「誰だろう?」
ピタヤ:「なるほど、石高の低い山形藩が、山形県になれたのはこの人のおかげなのか」
水野元宣は22歳で山形藩の家老職についた人物。 当初山形藩は新政府軍の命により、庄内攻めの為長崎口まで進出したが、庄内藩の不意の襲撃により敗走、山形市内が兵火に侵される寸前、水野元宣の奔走により救われた。
ピタヤ:「お参りしていこう」
ピタヤ:「霞城セントラルに展望台があるんだって」
ピタヤ:「山形市街が一望出来る」
ピタヤ:「あれ?山形新幹線は単線なのか?」
山形新幹線は関根駅 – 羽前中山駅間(北赤湯信号所付近を除く)と山形駅 – 新庄駅間のほとんどが単線となっており、新幹線が普通列車を待ち合わせるという珍しい風景も見られる
ピタヤ:「山形は広いから一日じゃ回りきれないな」
ピタヤ:「なんで芋煮するんだ?」
「日本一の芋煮会フェスティバル」毎年9月、山形市内の馬見ヶ崎川河川敷を会場として「日本一の芋煮会フェスティバル」が開催されている。1989年(平成元年)に初開催。以降、毎年9月の第1日曜日に開催されてきたが、近年のサトイモの生育状況ならびに残暑の厳しさを考慮し2014年(平成26年)からは敬老の日前日の日曜日に開催日が変更された。
ピタヤ:「電車で足湯があるとはいろいろ考えるな~」
ピタヤ:「そろそろ入線の時間だな」
[…] 次に続く・・・ […]
[…] 前回からの続き・・・ […]