ピタヤ:「鹿島神宮はこっちか」
ピタヤ:「鳥居があるぞ」
ピタヤ:「ここが鹿島神宮か」
鹿島神宮は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社。式内社(名神大社)、常陸国一宮。全国にある鹿島神社の総本社。千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。
ピタヤ:「でかい鳥居だなあ」
歴代の武家政権からは武神として崇敬された。現在も武道では篤く信仰される神社である。
ピタヤ:「身を清めてよう。もうやり方見なくても清めの作法が出来るようになったなあ」
まずは一礼をし右手で柄杓を取り、手水を掬う。最初に左手を清め、柄杓を左手に持ち替えて右手を清める。もう一度右手にその柄杓を持ち替え、左の手のひらに少量の水を溜めて(柄杓に直接口をつけない)その水を口に含み、音を立てずにすすいで口を清めた後、左手で口元を隠してそっと吐き出す。左手をもう一度清め、柄の首を片手で持ち、やや立てるように傾け、残った水が柄の部分を洗うように手を使い流す。柄杓を元の位置に静かに戻す。最後にもう一度一礼をする。
ピタヤ:「立派な門だ」
境内の参道には西面して楼門が立つが、この楼門は「日本三大楼門」の1つに数えられる。
ピタヤ:「お参りしていこう。ここは戦いの神様が祭られているようだ」
鹿島神宮の主祭神はタケミカヅチ(武甕槌/建御雷)として知られる。
ピタヤ:「本殿は日光東照宮みたいに豪華だ。立入禁止だからこの角度から撮るのが限界だぜ」
ピタヤ:「さらに奥にいってみよう」
ピタヤ:「さざれ石だ」
ピタヤ:「鹿がいっぱい居る」
ピタヤ:「奈良の鹿とちがって放し飼いじゃないんだな」
境内には鹿園があり、神使(神の使い)の30数頭の日本鹿が飼育されている。
ピタヤ:「フェンス舐めてるぞ?美味いのかな」
『古事記』によると、天照大神の命をタケミカヅチに伝えたのは天迦久神(あめのかくのかみ)とされる[5]。この「カク」は「鹿児」すなわち鹿に由来する神とされることに基づき、神宮では鹿を使いとするという。春日大社の創建に際しては、白い神鹿の背に分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて出発し、1年かけて奈良まで行ったと伝えられており、奈良の鹿も鹿島神宮の発祥とされている。
ピタヤ:「奈良公園の鹿は鹿島から連れてきたのかまあ大昔の話だが」
ピタヤ:「奥宮か」
ピタヤ:「池がある」
ピタヤ:「鯉よ来いきれいな水だなあ」
御手洗池(みたらしいけ)は、神宮境内の東方に位置する神池。潔斎(禊)の地。古くは西の一の鳥居がある大船津から舟でこの地まで進み、潔斎をしてから神宮に参拝したと考えられており、「御手洗」の池名もそれに由来するとされている。
ピタヤ:「昔はこのあたりまで海だったのか」
ピタヤ:「芭蕉の句だ芭蕉はここにも来た事があるのか!」
ピタヤ:「なにがあるんだろう?」
ピタヤ:「なんだ石か」
要石(かなめいし)は、境内東方に位置する霊石。
かつて、地震は地中に棲む大鯰(おおなまず)が起こすものと考えられていたため、要石はその大鯰を押さえつける地震からの守り神として信仰された。要石は大鯰の頭と尾を抑える杭であるといい、見た目は小さいが地中部分は大きく決して抜くことはできないと言い伝えられている。『水戸黄門仁徳録』によれば、水戸藩主徳川光圀が7日7晩要石の周りを掘らせたが、穴は翌朝には元に戻ってしまい根元には届かなかったという。
ピタヤ:「ただの石じゃないわけだ」
ピタヤ:「小林一茶も来た事があるのかけっこう有名人が来てるんだな~」
ピタヤ:「さて駅に向かおう」
ピタヤ:「つかはら「と」でん?」
ピタヤ:「どうやら「ぼくでん」と読むようだ」
ピタヤ:「そいやこんな看板あったなぼくでん君ってそのまんまだ」
塚原 卜伝(つかはら ぼくでん)は、日本の戦国時代の剣士、兵法家。
「幾度も真剣勝負に臨みつつ一度も刀傷を受けなかった」などの伝説により後世に剣聖と謳われ、好んで講談の題材とされ、広く知られた。
ピタヤ:「超強かったのか」
ピタヤ:「アントラーズは鹿嶋市がホームタウンだったななるほど鹿にちなんだ名前だ」
Jリーグ鹿島アントラーズのホームタウン(他に潮来市、神栖市、鉾田市、行方市)の中心であり、関東でも有数の「サッカーの街」としても有名である。
ピタヤ:「駅についたぞ鹿島神宮から10分くらいってところか」
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