ピタヤ:「坂の上の雲のまちだって」
ピタヤ:「坂の上の雲ミュージアム行ってみよう」
ピタヤ:「坂の上の雲は有名だよな!読んだこと無いが」
坂の上の雲ミュージアムは、愛媛県松山市にある博物館で、同市が取り組んでいる司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』を軸としたまちづくりの中心を担う施設である。
ピタヤ:「正岡子規は夏目漱石と友達だったのか」
ピタヤ:「当時からみんな東京に憧れてたんだなあオレは東京の人間だから特段意識した事無いが」
ピタヤ:「坂の上の雲は新聞に連載されていた小説だったのか」
『坂の上の雲』(さかのうえのくも)は、司馬遼太郎の長編歴史小説。著者の代表作の一つとされる。
1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)にかけ『産経新聞』に連載。単行版全6巻(文藝春秋、初版1969年~1972年)、文庫版全8巻(文春文庫、初版1978年、島田謹二解説)で刊行。
ピタヤ:「当時の小学生が学んでた教材らしいけっこう難しくないか?」
ピタヤ:「あちらには萬翠荘が見える」
萬翠荘(ばんすいそう)は愛媛県松山市にある歴史的建造物。松山城の城山の南麓、国道11号から地方裁判所の横を北側に入った場所に位置するフランス風の西洋館である。市街地の喧騒から隔絶された観光スポット。重要文化財に指定されている。
ピタヤ:「大街道を散策するか」
大街道商店街(おおかいどうしょうてんがい)は、愛媛県松山市の中心市街地にある商店街。
ピタヤ:「スゴく賑ってるな~」
大正時代初期に用水路が埋め立てられ、広い通りができて、松山随一の商店街を形成した。このころ大街道という通称が定着したと伝えられる。
ピタヤ:「成田から5990円~で行けるのかだが成田は千葉だぜ」
ピタヤ:「銀天街だって松山市駅まで屋根があるから助かるな」
松山銀天街(まつやまぎんてんがい)とは、愛媛県松山市の中心市街地である湊町3丁目から4丁目にかけて東西方向のアーケード商店街である。松山中央商店街の一部。松山銀天街の東端と接し、南北方向に伸びる商店街である大街道商店街とともに松山市を代表する中心商店街である。
ピタヤ:「アーケードもここまでか」
ピタヤ:「その近くに伊予鉄道の本社が!」
伊予鉄道株式会社は、愛媛県松山市に本社を置き、同県中予地方で鉄道・軌道、路線バス・貸切バス事業を展開している会社である。略称は伊予鉄、またはいよてつ。伊予鉄グループの中核企業である。2012年に創立125周年を迎えた。鉄軌道およびバス事業のそれぞれが単体でも黒字であり、“地方公共交通の優等生”であると言える。
ピタヤ:「駅のすぐ近くには子規堂だって」
ピタヤ:「残念!時間が過ぎてたようだ閉まってる」
子規堂(しきどう)は、愛媛県松山市にある、松山出身の俳聖正岡子規にちなむ観光施設である。入館料50円。
ピタヤ:「こちらのアーケードには・・・」
ピタヤ:「子規生誕の地か子規が亡くなった場所は東京の田端のようだ。近いし今度行ってみよう」
正岡 子規は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。
ピタヤ:「市内電車でJR松山駅に行くか」
ピタヤ:「大手町近辺だ」
ピタヤ:「着いたようだ以外に普通だな」
ピタヤ:「四国は高速バスのほうが発達しているらしい」
松山駅(まつやまえき)は、愛媛県松山市南江戸一丁目にある、四国旅客鉄道(JR四国)予讃線・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。駅名標のコメントは「坊っちゃん、マドンナと道後温泉の駅」。松山市駅と共に、愛媛県の代表駅(県庁所在地駅)である。
ピタヤ:「駅前スタジアムってバッティングセンターか松山は野球が盛んなんだな」
子規は日本に野球が導入された最初の頃の熱心な選手でもあり、1889年(明治22年)に喀血してやめるまでやっていた。また文学を通じて野球の普及に貢献したといえる。また、他にも「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」などの外来語を、「打者」「走者」「四球」「直球」と日本語に訳している。これらのことが評価され子規は2002年(平成14年)、野球殿堂入りを果たした。
ピタヤ:「子規は野球用語を訳したのか今でも普通に使ってるな」
ピタヤ:「松山を歌った子規の句碑だこれは超有名だな」
ピタヤ:「市内電車は頻繁に走ってるから便利だな」
ピタヤ:「そろそろ空港に向かおう」
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