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ピタヤ:「高尾駅に向かおう」
車掌:「次は高尾です」
ピタヤ:「すぐ着いたな」
高尾駅は、東京都八王子市高尾町および初沢町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・京王電鉄の駅である。
ピタヤ:「下はJR中央線の車両だ」
ピタヤ:「211系だこっちでも運用されてるんだな」
2014年3月時点で運用範囲は、中央本線・篠ノ井線・信越本線・飯田線へも拡大している。また、2014年6月頃より元田町車両センター所属の一部車両によって、中央本線立川駅まで運用を拡大している。
ピタヤ:「武蔵野御陵はこっちか」
ピタヤ:「あのあたりが御陵だな」
ピタヤ:「このあたりは山を切り開いたって感じだ」
ピタヤ:「住宅街と隣接してるんだな」
ピタヤ:「着いたようだ。ここが武蔵野の御陵か」
ピタヤ:「天皇陛下と皇后様のお墓のようだ」
武蔵陵墓地は、東京都八王子市長房町にある皇室墓地。大正天皇・貞明皇后陵・昭和天皇・香淳皇后陵の4陵が造営されている。
昭和天皇陵が造営される以前は多摩御陵(たまごりょう)と称していたが、現在でも通称として使われている。八王子八十八景のひとつ。宮内庁書陵部多摩陵墓監区事務所がある。
ピタヤ:「参拝方法は神社と同じか?」
ピタヤ:「清浄な場所のようだ」
ピタヤ:「多摩陵からお参りしよう!」
ピタヤ:「ここが多摩陵か」
多摩陵(たまのみささぎ)は大正天皇の陵。 1926年(大正15年)12月25日に崩御した大正天皇は、新宿御苑において斂葬の儀が行なわれ、翌8日に陵所に埋葬された。
ピタヤ:「大正天皇は和歌よりも漢詩を好んでたらしい」
赤坂離宮で数人の教師によるマンツーマンの授業を受けた。この時に重視された教科は、フランス語、国学、漢文であり、特に漢文を教えた川田甕江からは大きな影響を受け、漢詩作成を趣味としたという。
ピタヤ:「こちらが武蔵野陵か昭和天皇のお墓だ」
昭和天皇(1901年(明治34年)4月29日 – 1989年(昭和64年)1月7日)は、日本の第124代天皇。
諱は裕仁(ひろひと)。
ピタヤ:「オレも昭和の生まれなんだよ!と言っても昭和は長いからな~」
歴代天皇の中で(神話上の天皇を除くと)在位期間が最も長く(約62年)、最も長寿(宝算87)だった。
ピタヤ:「こちらは香淳皇后のお墓だ。つまり今上天皇の母上だな昭和天皇と結婚する時大変だったらしい」
香淳皇后(こうじゅんこうごう)は、昭和天皇の皇后。名は良子(ながこ)、久邇宮家出身で、皇后となる以前の身位は女王。
宮中某重大事件は、1921年(大正10年)、裕仁親王(当時皇太子、のちの昭和天皇)の妃に内定していた良子女王(のちの香淳皇后)について、家系に色盲の遺伝があるとして、元老・山縣有朋らが女王及び同宮家に婚約辞退を迫った事件である。
良子女王の父・久邇宮邦彦王、元老の松方正義や西園寺公望は婚約の破棄に反対を表明。また、頭山満など国粋主義の人間が同調したり、「北一輝等が山縣を暗殺するべく刺客団を編成した」といった流言が広まった。
最終的には、当の裕仁親王本人の意向で婚約辞退は撤回となる。
ピタヤ:「なんか色々あったようだけど、昭和天皇は単純に香淳皇后が好きだったから結婚したと思うんだよな~周りが騒ぎ過ぎだって」
ピタヤ:「すぐ近くは公園になってるのか憩いの場だな」
ピタヤ:「高尾街道を行くとあきる野市かその内行ってみよう」
ピタヤ:「高尾駅に着いたぞ!こちら側はレトロな雰囲気だな」
ピタヤ:「高尾は暮らしやすそうだが、電車の混雑に耐えられそうに無い」
アナウンス:「各駅停車新宿行きが参ります」
ピタヤ:「さて次いくか」
[…] 次に続く・・・ […]
[…] 前回からの続き・・・ […]