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ピタヤ:「博多行きのバスだ」
ピタヤ:「山口から博多まで4時間かかるのかまあ山口は広いからな」
福岡・山口ライナーは、福岡県福岡市と山口県山陽小野田市・宇部市・山口市を結ぶ高速バス路線である。昼行便1日8往復が運行されている。
ピタヤ:「工事中のようだ」
アナウンス:「県庁行きが到着です」
ピタヤ:「案外混んでるんだな」
ピタヤ:「霧がすごいんだが」
アナウンス:「終点山口県庁です」
ピタヤ:「着いたようだ」
ピタヤ:「ここが山口県庁かおーい村岡~なんも無いわ頑張れよ~」
警備員:「こういうのは捕まえるべきなのか?」
村岡 嗣政は、日本の自治・総務官僚、政治家。山口県知事。
ピタヤ:「山口藩時代の門だって」
ピタヤ:「こちらは議会棟のようだ」
ピタヤ:「山口・・・イマイチ地味な感じだよな~」
ピタヤ:「山口県のゆるきゃら、ちょるるどうもパンチが無いな~」
山口の豊かな自然の中で、元気いっぱいに育ちました。
ちょっと不思議な髪型は、人や自然からあふれるエネルギーをキャッチするアンテナでもあります。
皆さんの元気みなぎるパワーが発揮されるところに現れ、応援します。
ピタヤ:「山口県は萩と下関は有名だけど山口市はパッとしないよな~」
県庁所在地でありながら、県内における経済的な吸引力では港湾都市として栄えた下関市、あるいは重化学工業で栄えた宇部市、周南市、岩国市などに劣り、関門都市圏と広島都市圏に挟まれた谷間の地域ともいえる。2005年(平成17年)10月1日に合併する直前まで人口が約14万人に過ぎず、下関市、宇部市、周南市に次ぐ県内第4の都市であった。
ピタヤ:「展望台行ってみよう」
ピタヤ:「誰も居ない・・・」
ピタヤ:「風光明媚な良い景色が・・・」
ピタヤ:「見えない霧晴れないなあ」
中国山地の谷間に位置している為、昼と夜の寒暖の差が大きく、霧がよく発生します。
ピタヤ:「全体はこんな感じらしい」
ピタヤ:「萩は大河ドラマの舞台になったんだよな」
ピタヤ:「山口は総理大臣も多く輩出してるようだ」
ピタヤ:「歴史好きには山口は楽しめそうだな」
ピタヤ:「さて駅に向かおう」
ピタヤ:「ザビエル・・・どっかで会ったな?」
ピタヤ:「坂がキツイ」
ピタヤ:「サビエル記念聖堂だって」
ザビエル:「神を信じなさい」
ピタヤ:「おお!ザビエルじゃん京都行くんじゃなかったのか?」
ザビエル:「これはピタヤ殿、鹿児島では世話になった。京都に上ったのですが、京都は荒廃してましたので引き返してきたのですよ」
ピタヤ:「そうかこの時は応仁の乱があった時期だもんな」
当時の御所や京の町はかなり荒廃していたとの記録もある。京での滞在をあきらめたザビエルは、山口を経て、1551年3月、平戸に戻る。
ザビエルは、平戸に置き残していた献上品を携え、三度山口に入った。1551年4月下旬、大内義隆に再謁見。珍しい文物を義隆に献上した。献上品は、天皇に捧呈しようと用意していたインド総督とゴア司教の親書の他、望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃などであった。ザビエルは、初めて日本にメガネを持ち込んだといわれる。
これらの品々に喜んだ義隆はザビエルに宣教を許可し、信仰の自由を認めた。また、当時すでに廃寺となっていた大道寺をザビエル一行の住居兼教会として与えた(日本最初の常設の教会堂)。ザビエルはこの大道寺で一日に二度の説教を行い、約2ヵ月間の宣教で獲得した信徒数は約500人にものぼった。
ザビエル:「おかげで信者も増えましたのでここは弟子に任せて、旅立とうと思ってるんです」
ピタヤ:「いろいろと大変だなどこまで行くんだ?」
ザビエル:「一度インドに戻ってから中国に入ろうと思います」
ピタヤ:「そうか道中気をつけてな」
ザビエル:「ピタヤさんもお元気で」
日本滞在が2年を過ぎ、ザビエルはインドからの情報がないことを気にしていた。そして一旦インドに戻ることを決意。11月15日、日本人青年4人(鹿児島のベルナルド、マテオ、ジュアン、アントニオ)を選んで同行させ、トーレス神父とフェルナンデス修道士らを残して出帆。種子島、中国の上川島を経てインドのゴアを目指した。ザビエルは、日本全土での布教のためには日本文化に大きな影響を与えている中国での宣教が不可欠と考え、自らは中国を目指し、同年9月上川島に到着した。しかし中国への入境は思うようにいかず、ザビエルは病を発症。12月3日、上川島でこの世を去った。46歳であった。
ピタヤ:「ザビエルの遺骨の一部がここに安置されているようだ」
山口サビエル記念聖堂は、山口県山口市にあるキリスト教カトリック広島教区の聖堂。ザビエル記念聖堂とも呼ばれるが、施設名としてはサビエルと濁らないのが正式である。山口市の中心市街地は高層建築物が少ないため、亀山の中腹にたつ50m超の2本の塔は遠くからでも眺めることができ、いわば山口市のランドマーク的な存在ともなっている。
ピタヤ:「さて駅に向かおう」
ピタヤ:「ちょっとした散歩コースだな」
ピタヤ:「しかし・・・ぜんぜん人が居ない東京はどこ行っても人が居るのに」
ピタヤ:「山口は西の京都と言われてるらしい」
「西の京都」と言う意味から山口市付近は西の京(にしのきょう)とも呼ばれる。
ピタヤ:「商店街だ」
ピタヤ:「米屋町だって。高速バスが停車するよな」
新町商店街沿いの米屋町バス停が商店街全体の最寄りとなる。山口市内を運行する路線バス(防長交通・中国JRバス防長線)が停車するほか、山口市内を発着する高速バスの主要停留所(『山口米屋町』バス停)となっており、山口市における交通拠点の一つとなっている。
ピタヤ:「井筒屋だって東京には無いなあ~」
株式会社山口井筒屋は、山口県山口市に本社を置く百貨店。福岡県の地場百貨店である井筒屋の子会社。中市商店街内にあった地下1階・地上5階の旧ちまきやの店舗を引き継ぎ2008年(平成20年)10月3日に開店した。ちまきや時代から通路幅を広げるなどのリニューアルを行っている。
ピタヤ:「山口駅に着いたぞ!」
[…] 次に続く・・・ […]
[…] 前回からの続き・・・ […]