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ピタヤ:「電車の乗り場はどこだ?」
ピタヤ:「またバスかLCCターミナルはどこも遠いなぁ」
第2ターミナルビル(T2)は、2012年10月28日に供用を開始したLCC専用のターミナルビルで、二期空港島の連絡誘導路北側に所在している。
ピタヤ:「第一ターミナルに着いたぞ降機してからここまで30分はかかったぞ」
ピタヤ:「南海で和歌山行こう」
ピタヤ:「ラピートルジャーだって」
ピタヤ:「南海特急ラピートだ独特なデザインだな~」
ラピート(rapi:t)とは、南海電気鉄道が難波駅 – 関西空港駅間を南海線・空港線経由で運行する特急列車である。西日本旅客鉄道(JR西日本)が運行する「はるか」に対する、関西国際空港へのアクセス特急として登場した。
ピタヤ:「次大阪来たとき乗るか」
ピタヤ:「泉佐野まで行こう」
車掌:「次は泉佐野です。和歌山市方面はお乗り換えです」
ピタヤ:「急行和歌山港行きだけっこう混雑してんだな」
車掌:「次は和歌山市です。」
ピタヤ:「着いたようだ」
ピタヤ:「和歌山から大阪難波まで約1時間40分か本数も多いな」
ピタヤ:「なんだ?ピンクの列車だ」
ピタヤ:「めでたいでんしゃだって」
ピタヤ:「こういう観光列車も走らせてるのか」
加太を代表する海の幸「鯛」が、
レールを泳ぐ電車になりました。
乗るだけで、おめでたい気分になる電車。
ずっと乗っていたくなるような、愛でたくなる電車。
「めでたいでんしゃ」は、「おめでたい」と「愛でたい」が
出会ってうまれた、ここにしかない電車です。
ピタヤ:「そこそこ大きな駅だな」
ピタヤ:「といっても人が全然いないまあ地方都市の風情だ」
南海電気鉄道の南海本線と和歌山港線のほか、JR西日本の紀勢本線が乗り入れている。南海本線と紀勢本線は当駅が終点、和歌山港線は当駅が起点となっている。全列車が停車する。南海本線の大阪方面からの列車は当駅折り返しが大半だが、特急「サザン」と急行の一部のみ和歌山港線に乗り入れる。
ピタヤ:「夜は交通量もあまり多くは無いようだ」
近年、郊外化など消費変化による経済力の衰えと、大阪都市圏への交通網の整備等によるストロー現象による人口減少が大きな問題となっている。平成23年度の市の事業として、道路網の充実の他、経済・雇用情勢への対応として企業や起業家の誘致など(ふるさと起業)、減少した人口の回帰や経済復興索を打ち出している。
ピタヤ:「ラーメン食べてくか」
ピタヤ:「わーうまそう和歌山はラーメンでも有名らしい」
和歌山ラーメン(わかやまラーメン)は、主に和歌山県北部で、専門店や大衆食堂で出されるご当地ラーメンである。
店では「中華そば」、略して「中華」と呼ぶのが一般的だが、一般的にはラーメンでも通じる。味は一般に豚骨醤油味と呼ばれるが、大きく分けて2つの系統がある。また、他にも食べ方、店での応対など他の地方には見られない風習が多く、1つの地域文化を形成している。
ピタヤ:「ここが和歌山県庁かおーい似坂~廃墟撤去条例あれはいい条例だな~」
仁坂 吉伸(にさか よしのぶ )は、日本の通産・経産・外務官僚、外交官、政治家。和歌山県知事。関西広域連合副広域連合長。2012年に、景観を阻害する廃墟を、周辺の住民からの要請を受けて、県が強制撤去できる条例「建築物等の外観の維持保全及び景観支障状態の制限に関する条例案(通称:景観支障防止条例)」を制定した。
ピタヤ:「和歌山国体のゆるきゃら、きいちゃんだって」
愛称:きいちゃん
和歌山を表す「紀の国」「紀伊国」と「紀州犬」の頭文字「き」をとって親しみやすく「きいちゃん」と名付けました。
ピタヤ:「県庁の近くに和歌山城だ行ってみよう」
ピタヤ:「徳川吉宗の銅像が!吉宗は名君としても、ドラマの主人公としても有名だよな」
徳川 吉宗(とくがわ よしむね)は、江戸幕府第8代将軍。将軍就任以前は越前国葛野藩主、紀州藩第5代藩主を務めた。幕府改革で破綻しかけていた財政の復興などをしたことから中興の祖と呼ばれ、江戸時代を代表する名君の一人とされる。
ピタヤ:「天守があるが復興天守らしい」
1931年(昭和6年)に国の史跡に指定され、1935年(昭和10年)には、天守など11棟が国宝保存法に基づく国宝に指定された。しかし、1945年(昭和20年)7月9日のアメリカ軍による大規模な戦略爆撃(和歌山大空襲)により天守などの指定建造物11棟すべてを焼失した。
ピタヤ:「天守から市街を眺めてみよう」
ピタヤ:「和歌山は山に囲まれてるのか海あり山ありで良い所だな~」
ピタヤ:「山の上にあるから攻められにくい城のようだ」
和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に建造され、北部を流れる紀の川を天然の堀とする。本丸の北側に二の丸が配され、その外に大きく三の丸が配された、梯郭式平山城である。
ピタヤ:「和歌山は著名人を多く輩出しているんだな。松下幸之助も和歌山出身なのか!」
和歌山城再建の際、松下幸之助(和歌山県出身)は最も寄附金を送った人物である。なお、市も松下の寄附を最も期待しており、彼に「二ノ丸」の復原をお願いしようとしていたが、「寄付をするので天守閣にナショナルの看板を掲げさせてほしい」と冗談を交えて和歌山市に打診したという。
ピタヤ:「岡口門は歴史的に貴重な物らしい」
浅野時代には大手門であったが、浅野時代の後期に大手門から搦手門として修復された。1621年(元和7年)に徳川頼宣が行った城の大改修の際に再建された櫓門が現存している。現在の門櫓は切妻屋根であるが当初は、門櫓の両側に続櫓があった。
ピタヤ:「向かいの公園に路面電車が静態保存されてるぞ」
ピタヤ:「昔は和歌山にも路面電車が走ってたんだな~」
和歌山軌道線(わかやまきどうせん)は、和歌山県和歌山市内で運行されていた南海電気鉄道の軌道路線。
1909年(明治42年)の開業以来、幾度も経営母体の変遷と社名変更を繰り返し、和歌山市民の足として、和歌山市駅 – 海南、和歌山市駅 – 新和歌浦、公園前 – 和歌山駅間を結び、景勝地和歌浦への観光路線としての役目も果たしていた。他の多くの都市同様にモータリゼーションの波には打ち勝てず、1971年(昭和46年)3月31日限りで全線が廃止された。
ピタヤ:「こっちはC57機関車だヘッドマークがくまのか、天王寺から和歌山さらに名古屋まで行ってたらしい」
戦後の紀勢西線初の準急3401・3400列車として、1950年に天王寺駅 – 新宮駅間で運転を開始したが、当初から毎日運転の臨時列車で、列車名は付けられていなかった。同年10月に定期列車化され、1952年に「熊野」と名付けられた。1956年から和歌山市駅発着の編成が連結されるようになり、1959年からは紀勢本線の全線開通に伴い運転区間が天王寺駅・和歌山市駅 – 名古屋駅間に変更されたが、1961年に急行化されることにより「紀州」に改称され、廃止された。
ピタヤ:「とりあえず和歌山駅に向かおう」
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