スポンサーリンク
ピタヤ:「思った以上に盛岡は都会だな」
盛岡市は、岩手県の中部に位置する同県の県庁所在地である。中核市に指定されている。
ピタヤ:「ここが岩手県庁かおーい達増~・・・なんも無いわ~頑張れよ」
警備員:「なんか変な奴がいるな~」
達増 拓也(たっそ たくや)は、日本の政治家。岩手県知事(第7代)。中選挙区時代に小沢の地盤ではなかった県北部の岩手県第1区で4回連続当選を飾るなど、「小沢学校の優等生」と呼ばれていた。
ピタヤ:「原敬の胸像だ歴史の教科書にも載ってるな」
原 敬は、日本の外交官、政治家。立憲政友会総裁、内閣総理大臣を歴任。
爵位の受け取りを固辞し続けたため「平民宰相」と渾名された。大正10年(1921年)11月4日、東京駅丸の内南口コンコースにて刺殺された。満65歳没。墓所は盛岡市の大慈寺。
ピタヤ:「岩手のマスコットそばっちだって」
ピタヤ:「来年の国体は岩手で開催されるようだ」
ピタヤ:「その隣は裁判所が」
ピタヤ:「石の裂け目から桜の樹が生えてるスゲー生命力だ」
石割桜(いしわりざくら)とは岩手県盛岡市にある巨大な花崗岩の割れ目から育った直径約1.35m、樹齢360年を越える桜である。見ごろは4月の半ばから。盛岡地方裁判所構内に所在する。1923年(大正12年)に国の天然記念物に指定された。
ピタヤ:「盛岡城跡に行ってみよう」
ピタヤ:「啄木は盛岡出身だったな」
石川 啄木は、日本の歌人、詩人。岩手県南岩手郡日戸村(現在の盛岡市玉山区日戸)に、曹洞宗日照山常光寺住職の父・石川一禎と母・カツの長男として生まれる。
ピタヤ:「新渡戸稲造は、旧五千円の肖像にもなった人物だな」
新渡戸 稲造は、日本の教育者・思想家。陸奥国岩手郡(現在の岩手県盛岡市)に、藩主南部利剛の用人を務めた盛岡藩新渡戸十次郎の三男として生まれる。農業経済学・農学の研究も行っていた。
国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。
ピタヤ:「盛岡は著名な人物が多く輩出されてるな~」
ピタヤ:「盛岡はもう紅葉が見ごろなのか良い雰囲気だな~」
本州の中では最も年平均気温の低い県庁所在地であり、桜の開花は東京に1か月程度遅れ、満開時期がゴールデンウィークに重なる傾向がある。
ピタヤ:「逆に紅葉は東京より早く色着くってことか」
ピタヤ:「岩木山が見えるぞ」
岩手山(いわてさん)は日本の東北地方、奥羽山脈北部にあり二つの外輪山からなる標高2,038mの複成火山。岩手県の最高峰であり、県のシンボルの一つとされている。日本百名山に選定されている。
ピタヤ:「盛岡は自然豊かな綺麗な街並みのようだ」
盛岡市出身の石川啄木は、その作品の中で「美しい追憶の都」、盛岡市ゆかりの宮沢賢治はエスペラント風に「モリーオ市」と記した。「みちのくの小京都」とも称される。
ピタヤ:「近くには神社があるのか」
創建は1749年。社殿が盛岡城三の丸跡にあり、南部藩の総鎮守として信仰された。
ピタヤ:「大通だ盛岡の繁華街らしい」
大通・菜園は岩手県盛岡市の中心部に位置する。岩手県では商業施設、飲食店が最も集積した地区であり、北東北最大の繁華街である。
ピタヤ:「子どもの時の啄木の銅像だ啄木は若くして亡くなったんだよな」
小石川区久堅町にて肺結核のため死去。妻、父、友人の若山牧水に看取られている。享年26。
ピタヤ:「東京で亡くなってるのか、啄木のゆかりの地を訪ねてみるのも良いなけっこう色々なところに歌碑が立ってるようだ。」
ピタヤ:「盛岡は都会過ぎず田舎過ぎずちょうど良い街だな引っ越すか!」
ピタヤ:「これなんてどうだ?都内だと15万はするぞ」
ピタヤ:「開運橋だって」
開運橋(かいうんばし)とは、岩手県盛岡市にある北上川に架かる岩手県道2号盛岡停車場線の橋。盛岡駅と市の中心部を結ぶ重要な橋である。
ピタヤ:「なんか当たりそうな気がする」
2015年5月20日から同年12月27日までは、(サビや塗装の剥がれなどの)痛みが目立っている欄干部の全面塗り替え工事が実施される。同時に工事用の足場が組まれるため、歩道幅は現行より約1m狭まる。
ピタヤ:「だいぶ陽も暮れて来たな」
ピタヤ:「開運橋にもゆるきゃらが」
ピタヤ:「何かと思えばそばっち暗くてよく分からん」
ピタヤ:「盛岡駅に戻ってきたぞ!」
[…] 次に続く・・・ […]
[…] 前回からの続き・・・ […]